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【ママのこと続きです】


ママはますますまわりを気にするようになったのと同時に
痛みも増して、
少しずつものがうまく食べれなくなりました。

今まで食べれていた、
みんなと同じ食事をうけつけなくなりました。
何が食べたいともいわなくて、
手当ても1日に何回も何回もしつこくきいて
やっとさせてもらえる感じでした。

「食べたいもの何かある?」
ってきいてゆわれたものを用意するようにしていました。 
ヨーグルトや、コーヒーや、タッラ(エチオピアのお酒)。

「タッラを飲むと眠れるから。」
っていっていました。

でもあんまりにものを食べないから、
グルコース(点滴)をしようとしても
受け付けてくれません。
痛みがひどいようだったから注射のペインキラー
しようとしても受け付けてくれません。 
 
「ママー頑張って食べなきゃだめだよ。
私お手伝いするよ。」
なんでもいいから食べて栄養つけないと。」

あんまりにものを食べずにいて
体がどんどん細く細く痩せこけていくのが
1日ごとにわかるようでした。
 
毎日毎日、何回も何回もしつこくほしい物ききました。

「ママ、グルコースしないともうだめだよ。
お願いだから。」

っていうと私の手をとって、
ママのやせこけたお腹をさわらせて、
 
「こんなにがりがりの私に
どうして針なんて刺せるの?」

「でもママ、お願い、
何か食べなきゃだめだよ。お願いだから。」

「なにがいい? ケーキ? シュロ?
チョコラータ?  なんでも買ってくるから
お願いだからいって」

私が泣きながらいうと、毛布の中から、  
「ちゃらか、お願い。殺して。」
 
って返事が返ってきました。

あんまりに弱って衰弱していくママが
悲しくて悲しくてたまりませんでした。

ママが自分で体を動かせなくなりました。

もう2週間近く、しっかりしたものを食べていず、
水を1日何回か飲む程度でどんどん
弱っていくのが苦しいぐらいわかりました。

いつもお手洗いには
頑張っていっていたママがお手洗いもいかなくなって、
ベットの下においてある洗面器をとって
毛布の中で用を足すようになりました。

毛布の中に話しかけても返事がありませんでした。
 
「ママ?大丈夫?」
 
ってゆっくり毛布をめくると
口元をもう気にせずそのままの格好で
苦しみきった目をして、宙をみてました。
 
ゆっくり私の目をみて
何かゆおうとしているのだけどもう言葉に
になっていませんでした。

汚物のにおいがしたので
お湯を汲んできて、体をきれいにしてあげました。

あんまりに、体ががりがりで
がりがりですべての骨が浮き上がっていて。
 
肛門でつかえてしまっていた汚物、
自分の手で抜き取ろうとしたのか、手も汚物だらけで。

きれい好きなママが辛かっただろうなって思って。
 
丁寧に体ふいてあげて、
爪の中につまった汚物もとって。
ベットもきれいにして。
血と、膿とよだれでいっぱいになった首のまわりも
きれいにして。
きれいな布、マスクを用意して。

ママはもう何もゆおうとしませんでした
 
ただただ、私が声を立てずに泣くのをみていました。

同室の患者さんたちもみんな心配そうにみていました。

次の日の朝、
ユリガラムが私を待っていてくれて、
泣きながら私にハグしてくれました。
 
「ママ亡くなったの?」
ってきくと、
 
「うん。でも今はきっと大丈夫。」
って泣き声でいいました。


いつも、私がママのそばを離れて
別の病室にいこうとすると、
毛布の中から手を一生懸命伸ばして、
私の白衣を引っ張って

「どこにもいかないで。この病室の中にいて。
チャラカの声が聞こえるだけで安心するから。」

まだそこまで具合が悪くなかったころに
よくいってくれた
あったかい言葉が今でも忘れられないです。








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